先日、カービング作家の佐藤朋子先生の個展にお邪魔してきました。
私は佐藤先生の作風が大好きで、もうずっと密かに背中を追い続けています…とはいえ自分の作品とは似ても似つかないのが悲しくもあるのですが(^_^;)
展示作品を間近で穴が開くほど見させていただき、たくさんのエネルギーをいただきました。
文化が”和する”彫刻
カービングはタイの伝統工芸です。
しかし、佐藤先生の作品には「和」を感じさせるものが多くあり、石鹸という素材もまるで翡翠や大理石のような輝きが感じられます。
石鹸とはその漢字表記に表されるように鹸化(油脂の加水分解)した石ともとれ、少し強引ではありますが漢字上では石の一種であるという括りになり得ます。
そういう意味では、カービングによってあるべき形に戻ったような、「想いを加えたことで原点回帰し、そこからまた新たなものが生まれる」という歴史の繰り返しと繋がりを感じるような不思議な感覚に覆われます。
石鹸という素材が本来持つ堅固なまでの輝きが際立ったデザインが、「ああ、石鹸とはこんなに美しいものなんだな」と改めて気づかせてくれます。
そもそも、日本人は外部から入ってきたものを受け入れ、独自の文化に根付かせることを得意とする民族です。
例えば料理でも、肉じゃがはビーフシチューを作ろうとした料理人が想像で味付けをしたことから生まれ、インドから来たカレーも完全に日本人の国民食となりました。少し余談ですがタイのガパオ炒めもここ数年で流行し、和風アレンジが進みつつあるように思います。
外来のものを受け入れ、独自の文化に調和させていく。全ての日本人が潜在的に持つ能力は、タイの文化をこのような形に融合させることができるのだと、佐藤先生の作品には心を打たれます。
老いの美
そして、展示作品で非常に驚かされたのがこちらのりんごです。
果物を彫刻するときは出来るだけ鮮度の高いもの、あるいは未熟なぐらいの果実が彫りやすいです。
彫刻後もなるべくみずみずしさが残っているうちが美しく見えるものだと一般的には思われているでしょうし、私自身、干からびてきた果物は美しくないもの、頼りないものだと思ってきました。
左:彫刻後1週間経過
右:彫刻後3ヶ月経過
ある時期を過ぎると、まるでレザーのような質感に変わるのです。
彫り方によっては松ぼっくりのようにも見えます。なんておもしろくて美しい変化なんだろう。
そうそう、最近ある生徒さんと一緒に柿を使ってもみじやイチョウの葉の形を作っていたのですが、その生徒さんは作品を持ち帰った後に干し柿にしてみたというのです。
↑生徒さんが送ってくれた写真
枯れ果てているかのような、本物の落ち葉みたい。
発想力豊かな生徒さんによって、薄く切った果肉の面白い変化を教えていただいたのですが、まさかリンゴ丸々一個でも彫刻後の乾燥ができるとは。
きっと同じデザインを彫っても、彫りの深さや素材の微妙な違いによって、時間が経過すると全く違う印象のものができあがりそうです。それにしても興味深いリンゴの変化。これはぜひいろんな素材で実験してみたいですね!
「鬼滅の刃」に見た命が尽きるまでの経過
現在公開中の映画「鬼滅の刃 無限列車編」が歴代映画興行収入5位になりました。(じきに1位になってもおかしくないと思います)
日本人の志を要所要所に感じさせてくれる素晴らしいストーリーなのですが、この映画における主役とも言える”煉獄さん”というキャラクターのセリフにこんな言葉があります。
「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ
老いるからこそ 死ぬからこそ たまらなく愛おしく尊いのだ」
このストーリーで敵対する”鬼”は、負った重傷を速攻で修復し、永遠に生き続けることも可能です。
その鬼から「人間は簡単に死んでしまうじゃないか。その才能を永遠のものにしよう、お前も鬼になれ」という誘いを受けた時の返答です。
生きているものはいつか死んで無くなる。
その摂理に背いたものに美しさはあるのか?
朽ちていくリンゴには、終焉の弱々しさと、限りある生命を最後まで全うした内面的な力強さが共在しているように見えました。
老いるから、死ぬから、その中で懸命に生きるから、限りある命はより輝いて見える。
鮮度の高さや表面的に繕った美しさとはまるで違う、「経過」というもうひとつの軸が加わった4次元的な美しさが煉獄さんのセリフとリンクしました。
そしてこの「経過の中の美」というものは、今後自分がカービングと向き合っていく上で考えさせられた大きな衝撃だったのです。
素材と向き合うこと
佐藤先生には、10年ほど前に私がタイで本格的にカービングを学びにいこうと渡った少し前から度々ご教示いただいているのですが、10年前から今まで、何度でも新鮮な驚きと感動を提供してくださいます。本当にすごい方だともうずっと憧れ続けています。
それは唯一無二の発想と技術というだけでなく、個々の素材の魅力を生かしてあげる、という想いが根底にあるから、それに見合った美しい作品が生まれるのだろうな、と思うんです。
どんな人でも、自分都合に物事を操作したがったり、相手の心が自分の思い通りになることを望んだ経験が一度はあると思います。
だけど、他人の気持ちをコントロールすることはそもそもおかしいし、今年から始まったコロナとの付き合いも受け入れていくしかないと思っています。自分がどう望もうと、マクロで見れば大体のことは叶わないものでしょう。
彫刻素材についてもそれは同じで、完璧な球体のフルーツは無いし、色にもムラがあるものです。彫り心地もメロンなどの柔らかい素材、かぼちゃなどの硬い素材、大根のように水っぽくて見にくい素材、様々です。
スイカには皮と身の部分に緑、白、赤の異なった色があり、りんごには紅白、にんじんは一色。水分量や皮の厚み、彫り跡が徐々に黒ずんでいく様、素材の柔軟性と反り具合。
野菜、果物、石鹸。それぞれの材質に、たくさんの個性があります。
その材質ごとの個性、各々の細かな形状を生かした彫刻をすることで、素材がそもそも持つ潜在的美しさを際立たせることをゴールとする。
決して技術自慢になるのではなく、素材を思い、彫りと調和させることで、素材に納得してもらえるような作品を作れるよう、改めてカービングに真摯に取り組んでいこうと決意できた1日でした。
時々お出ましする愛嬌のあるキャラクターもかわいい、木工というもう一つの軸でも活動されている佐藤先生のサイトはこちらです。
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